「なんだかすごい身体が重そうに見えるけど」ええ、朝っぱらからがっつり転び、かつ教習所帰りですから。
色々と話していくうちに、「役に立つ立たないじゃなくて、○○さんが単純に楽しめることがもっと見つかると良いんだけど」という話になる。結局、話はそこに終始しちゃうんだよな。「楽しむことへの罪悪感」をなんとか無くさない限りビョーキ、治らないってことなのかしらん。